10代目菊丸英二の魅力について、テニミュ最高セイヤー

自己満足と自分語りそして支離滅裂の極みですが今のこの熱を未来の自分のためにも残しておきたくて、ついでにネットの海に流してみます。

 

 

ミュージカル『テニスの王子様』全国大会青学vs氷帝ライブビューイングを見てきた。私は地方民なので地方公演以来の全氷。10代目青学の初の本公演。

10代目は、3rdシーズンの途中からテニミュに行っている私にとって、リアルタイムで見る青学としては3回目。やっぱりどの代も違う良さがある。10代目でまず気になる存在は菊丸役の田口くん。

 

(観劇自体、テニミュに行く前後からの趣味なので、あまり理論的なことはわかりません。と、予防線?を張っておきます。)

 

解釈違いという言葉は、いつから聞くようになったのか。自分の気に入らないものや受け付けないものをはねのける便利な言葉。

正直、実際見る前は2.5次元舞台の存在を「解釈違い」とひとくくりにしていた。テニスの王子様の原作自体は読み、アニメも昔見てたけど、何度も読み込んだりしたわけでもなく、ただ読む・見るという行為として楽しんでたからか、こまかく解釈できるほどの私にとってのキャラクター像が固まりきっていない。

原作至上主義なところがあるから前はどの2.5次元舞台に対しても「人間がやる時点で解釈違い」だと思ってたな〜。テニミュテニプリを読んだ時にはもうやっていたから「テニミュテニミュ」と思っているところもある。

とある舞台をたまたま勧められて見るようになってから、人が演じることでキャラクターの解釈の幅が広がったり、自分が一読しただけでは気づかなかった魅力を知れたり、そういうことが楽しいなと思うようになった。

 

題の通り、今回は菊丸英二くんの話。

菊丸くんは、青学のなかでも特にマンガ的な登場人物。

3rdシーズンから見た私は、8代目の本田くん、9代目の永田くん、そして10代目の田口くんの菊丸くんを見た。(打って初めて気づいたけど全員、田という文字と濁点がついている!)

これまで見てきたテニミュの菊丸くんはアニメのように、高い声で癖のあるかわいい語尾という印象。(初代から7代目までは映像などで見たことがある代もありますが見てない代もあるのでもっと勉強してきます)

 

「どの代が良い」という話をしたいのではなく、それぞれに個性があり良さがあるという話をしたいのを前提で簡単に印象を比較してみると、8代目は菊丸英二を客観的に見たそのままを再現したような菊丸くん(初めて見たときは、「アニメで見たままだ、本物だ、テニミュあなどれん」と思いました)、9代目は自身の菊丸英二のようなところをより強調させることで魅せるような菊丸くん(持って生まれたものだろうと思われる天真爛漫さとぱっと思わずこちらもつられてしまうような笑顔とキラキラした瞳で、初見の時は逆光で目が潰れるかと思いました)で、演者が変わると雰囲気も魅力もアプローチのしかたも全然違うなと。

そして10代目の菊丸くんを見たとき、まず語尾の誇張がほとんどないことに衝撃を受けた。

わかりやすくキャラクター的な役であるのに、キャラクター的であるところが控えめになっていて、でもその「キャラクター的」であることがほとんどなくても、仕草、表情、佇まい、試合や他の青学メンバーへの絡み方……田口くんの演じる菊丸くんを見ていると確かに彼は「菊丸英二」のアイデンティティを持ってて、菊丸英二をマンガ的に描かれているのが原作だとしたら、実際にどこかにいる菊丸くんは10代目の菊丸くんなんだろうなと思った。

10代目の青学は「マンガのキャラクター」を演じているという感じがしないなぁと思う。例外はあれど全体的にどこかに本当にいそうな感じがあって、「2.5次元」っぽさがあんまりないような。それがそう見せてるのかは定かじゃないが。

シルエットはほとんどずっと一緒でも、役のなかで拾うパーツや元々演者が持つキャラクターの核によって見せ方がまるで変わる、別人みたいになっても確かにその人間として、そしてシーズンの中ではテニスの王子様の話として続いているこんなにおもしろいものを見れるのは本当にテニミュだけなんじゃないか。

菊丸くんの話に戻るけど、田口くんの菊丸くんは14年間生きてきたらこういう人間になりましたみたいなナチュラルさがあるんだよなあ。

これから、と言ってももう確実に四天宝寺戦と全国立海戦しか見られないんだろうけど、どういう風になるのか楽しみだな〜。